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付記弁理士 西村 知浩 

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弁理士ともちゃんの軌跡~自分の看板で生きるということ

私は、30歳で弁理士として独立しました。

現在は、特許・商標・意匠などの知的財産業務を中心に、中小企業、スタートアップ、起業家の皆様の知財戦略から、知財紛争や訴訟まで幅広くお手伝いしています。

また、LGBTQ弁理士として、自分らしい生き方や働き方についても発信しています。

しかし、最初からこのような生き方をしていたわけではありません。

10代は、自分の人生を肯定できなかった

中学生のとき、両親が離婚しました。

また、自分自身が性的マイノリティであることを自覚するようになったのも10代の頃です。

当時の私は、自分の生き方を自由に選べるような感覚を持てませんでした。

今振り返れば、10代は決して楽しい時期ではありませんでした。

それでも、滋賀県の進学校を卒業し、大学へ進学しました。

そして新卒で知財業界に入りました。

大手特許事務所で7年間、下積みを経験

社会人になってからは、知財の世界で下積みを続けました。

特許実務を一から学びながら仕事を続け、その間に弁理士試験の勉強にも取り組みました。

そして、難関資格である弁理士試験に合格。

資格を取得した私は、その後、独立開業という道を選びました。

30歳のときです。

新宿2丁目で、弁理士として独立

私が選んだ独立の場所は、新宿2丁目でした。

独立した当初から、すべてが順調だったわけではありません。

仕事も人脈も十分にあるわけではなく、自分自身で顧客を開拓し、仕事をつくり、事務所を経営していかなければなりませんでした。

それでも、独立には大きな意味がありました。

それは、

「自分の看板で社会を生きていける」

ということです。

会社に所属している以上、自分の生き方が組織に影響することがあります。

しかし、自分で事務所を経営すれば、自分の人生について自分で責任を負うことができます。

これは、私にとって非常に大きな転換点でした。

大企業の仕事から、中小企業・ベンチャーへ

独立後の最初の10年間は、大企業からの仕事が比較的多く、企業の知財部門や特許業務を支援する仕事を中心に行っていました。

その後、リーマン・ショックなどを経て、仕事の内容や顧客層が大きく変化していきました。

開業から10年ほど経った頃から、中小企業、ベンチャー企業、起業家、投資家の皆様との仕事が増えていったのです。

そこで私は、単に特許出願を代理するだけではなく、

「この会社にとって、どのような知財戦略が必要なのか」

「この事業をどのように知的財産で守るのか」

「競合他社との関係で、どのような権利を取得すべきなのか」

という、より経営に近い知財相談を受けるようになりました。

私自身の弁理士としての仕事も、少しずつ変わっていきました。

カミングアウトしても、仕事は変わらなかった

私は、独立してすぐに自分の性的マイノリティについて公表したわけではありません。

長い時間をかけて、少しずつ自分自身の生き方を受け入れていきました。

そして、クライアントの皆様にも少しずつカミングアウトするようになりました。

当時は、

「仕事に影響が出るのではないか」

という不安もありました。

しかし、実際には、仕事そのものが大きく変わることはありませんでした。

むしろ、長くお付き合いしてくださるクライアントの皆様から、自分らしさも含めて受け入れていただくことが増えていきました。

現在では、「オネエキャラ」も含めて私自身を面白がってくださったり、可愛がってくださったりするクライアントの方もいらっしゃいます。

そこで改めて感じたことがあります。

仕事では、肩書や属性だけではなく、結局は人間としてどう仕事をするかが大切なのだ。

ということです。

弁理士として、扱う仕事も変わっていった

弁理士としての経験を積むにつれて、私が扱う案件も次第に難しくなっていきました。

特許出願や権利化だけではありません。

拒絶対応、異議、審判、行政訴訟、特許侵害訴訟など、知財紛争に関係する案件にも継続的に携わるようになりました。

また、企業の知財戦略を構築し、日本だけでなく外国での権利化まで含めて支援する機会も増えていきました。

振り返ってみると、私の弁理士としての仕事は、大きく変化しています。

最初は、

大企業の知財業務を支援する特許弁理士。

その後、

中小企業の知財業務を一手に引き受ける「社外知財部」のような弁理士。

さらに、

知財紛争や特許侵害訴訟などの難しい案件にも対応する弁理士。

そして現在では、

起業家やスタートアップの事業そのものを知財面とマーケティングから支えるメンター弁理士。

へと仕事の領域が広がってきました。

SNSによって、さらに新しいご縁が生まれた

近年は、XなどのSNSでも情報発信を行っています。

すると、これまでまったく面識のなかった起業家の方から、知財戦略や知財業務についてご相談をいただくことも増えてきました。

これは、私にとって非常に興味深い変化でした。

以前は、「弁理士を探している人」と「弁理士」の間には、紹介や人脈などの壁がありました。

しかし現在は、自分の考え方や専門知識を発信することで、

「この人に相談してみたい」

と思ってくださる方と、直接つながることができます。

だから私は、知財の仕事だけでなく、文章を書くことや情報を発信することも大切にしています。

私が大切にしているのは、「自分の看板で生きる」こと

私の人生を振り返ると、10代の頃には想像もしていなかった場所にいます。

10代には、自分の生き方を自由に選べないと感じていた。

社会人になって知財業界に入り、7年間の下積みを経験した。

弁理士試験に合格した。

30歳で独立した。

そして、自分の名前で仕事をするようになった。

その後、仕事の内容も顧客層も少しずつ変化し、現在では中小企業、スタートアップ、起業家の皆様の知財戦略から、高度な知財紛争まで携わっています。

そして、自分自身についても、少しずつ隠さずに生きられるようになりました。

だから私は、今、

「自分の看板で生きる」

ということを、とても大切にしています。

これは、単に独立して事業をするという意味ではありません。

自分の専門性を磨き、自分の考えを持ち、自分の名前で仕事をし、その結果について自分自身で責任を負う。

そして、自分が何者であるかを必要以上に隠さず、自分らしく社会と関わっていく。

私にとって、それが「自分の看板で生きる」ということです。

これからも、知財で人と企業を支えていく

弁理士になってから、25年以上が経ちました。

これまで、数多くの企業、経営者、起業家の皆様と仕事をしてきました。

その中で感じるのは、知的財産は単なる法律上の権利ではないということです。

特許、商標、意匠などの知的財産権は、企業の事業を守るための武器にもなります。

一方で、スタートアップや中小企業にとっては、事業の価値を外部に伝えるための重要な経営資源にもなります。

私はこれからも、

「難しい知財を、難しいままにしない。」

という姿勢で、企業や起業家の皆様の仕事を支えていきたいと思っています。

そして、自分自身もまた、年齢や既存の常識に縛られることなく、新しいことに挑戦し続けたいと思っています。

10代の頃の私が、今の自分を見たら、きっと驚くでしょう。

人生は、いつからでも変えられる。

私は、自分自身の人生を通じて、そのことを実感しています。

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